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つながるアートの歴史!ロコサトシと横浜の共生関係!?

横浜を代表するウォール・ペインター、ロコサトシ

70年代後半東横線桜木町駅高架下およそ1.2キロメートルに渡って、不思議なシルエットの壁画が出没します。次々に つながり続ける作者不明のグラフィティは、当時の若者達が口々に評判を広げ、やがて雑誌やラジオ、テレビが、その正体を探すために真夜中に張り込みをするなどの話題となりました。
当時の技法は、チョークによるもので、雨風に晒されれば消えていくという文字通りの落書き(=Graffitii)であったためか、それとも時代か、とりあえずはお咎めなし。今度は仕事として横浜とタッグを組むこととなります。 (↗)

1982年から始まった「 本牧ジャズ祭」にも、ライブペイントで参加。また、横浜の 街全体をステージにする「 横濱JAZZ PROMENADE」では、ポスター、チラシの制作。ステージのアートディレクションにも深く関わっており、音楽とアートを融合した ライブペイントでの活躍が話題を呼びました。
もともとは、コンサートの転換の時に間に合わず、舞台監督に「描き続けろ!」と言われ、演奏と一緒に描いていったのががライブペイントの始まりだったとか…。(諸説あります。)
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1983年には「屋根のあるところでの初の個展」を、山手にある 岩崎ミュージアムにて開催しています。
1989年には、YES’89(横浜博覧会)で最大級のパビリオンをペイント。
発展する横浜と足並みを揃えるかのように、新本牧地区、みなとみらい21地区、横浜ポートサイド地区など、横浜のシティー・キャラクターを形成する重要な景観にロコの作品がつながっていきます。
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 1990年より、横浜の姉妹都市サンディエゴにも拠点を構えて旺盛に作品を発表、その活動に対し同市長より謝意宣言書が発布されています。1992年、同地のボブ・マーリー生誕50周年記念コンサートで平和賞を受賞。その年のアートオブザイヤー・ベスト10に数えられました。

Coronado Bridge

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1995年には、横浜市営バスのペイントが話題を呼びました。民間の企業からも数多く壁画などの依頼を受けており、現在も横浜の各地で、その姿をみることができます。(ジャズ喫茶ちぐさの壁画、横浜エアジンのステージなどなど)同年に箱根・彫刻の森美術館に作品を常設。渋谷同潤会アパートのイベント、渋谷区表参道の大壁画を担当。(↗)


 1999年に横浜市文化賞奨励賞芸術部門賞受賞。2001年に絵本「ネコのマイティ」シリーズを発表。2002年から、マイティをイメージキャラクターにしたワークショップ<MyteeSummit>を横浜山手にある岩崎ミュージアムで開始。2022年には20周年を迎えました。
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 2004年、横浜市都市計画局からの依頼により、原点ともいえる東横線桜木町高架下の再生実験<ART-16>を主宰。
2011年には横浜赤レンガ倉庫の100年前のカワラに絵を描くワークショップを開催。
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 作家活動と並行してさまざまなワークショップを行ってきました。時には学校ひとつ単位のワークショップも!つなげると大きな大きな絵、長い長い絵、こどもたちが自分の五感で楽しめるアートワークショップを提案・実践していきます。また街と学校と家庭とのつながりを深めるため、家族、先生、自治体と共に、子供たちが生活の中で自然と美術への取り組み方を意識できるよう一緒に考えてきました。(↗)


 2018年には画業40周年として、戸塚さくらプラザでの大型個展を皮切りに横浜のさまざまなギャラリーをつなぐような、多くのイベントが開催されました。同年9月には25年ぶりにサンディエゴで発見された当時の作品が話題に。現地ギャラリーより招聘され渡米。横浜・サンディエゴ姉妹都市交流団体の後援を受け、展覧会・WSが開催されました。当時のトランプ政権下で、メキシコとの国境の壁にも壁画を作成しました。
コロナ禍ではネットとリアルを共生させた「つながるアート」をテーマにリモートワークショップを開催しました。
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2022年、トカラ列島最南端の有人島・宝島。
かつて海賊キャプテン・キッドが財宝を隠し、多くの冒険家が訪れたという言い伝えのある島です。
その玄関口のひとつ、前籠(まえごもり)港の岸壁(高さ15メートル、幅112メートル)に、 日本最大級の壁画を制作しました。
島民の方々、子どもたちとともに、宝島の歴史や生活を織り込み、長く慈しまれる 壁画=タカラモノができました。
 
ロコサトシが 長年、描き続けている <つながる絵>のひとつとして、 時間と場所 横浜〜宝島〜サンディエゴを つなげています